計算機科学に対する誤解

計算機科学を語るほど勉強したわけではないが、多くの誤解を一般人に与えている分野もないのではないかと私は思うことが多い。私自身、大学で6年間(学部/修士)コンピュータサイエンスを学んだ程度なので、単なる思い込みかもしれないが...。
例えば、世間一般の人が考えている、ITビジネスだと考えられている楽天とかライブドアにコンピュタサイエンスがあると思ったら大間違いだ。そんな会社から出ている論文なんか、一本だって見かけたことがない。
昨年の暮れに実家に帰ったことであるが、国立の研究所で化学を専門として研究をしていた父が、「最近の科学の進歩は速すぎる。特に、生物学とソフトウェアの急激な進歩は危険だ。」と言ったかと思うと、人工知能を例に、その危険性を語りだした。(ちなみに、実妹とその夫は、生物学が専門なので、父は次世代の科学を志す者へ何か言いたかったのだろう。)

何をもって、人工知能とするのかという定義は置いておくとして、父が考えているのは、映画AIとか2001年宇宙の旅に出てくる人工知能を思い浮かべているのは想像がつく。大学時代、そして就職後も学術誌には目を通しているが、人工知能ほど昔の予想を裏切って進歩があまりないところもなかなかないだろう。探索だの、ニューラルネットワークだの発明はかなり昔の話だし、マルチエージェントなんかもなんだかぱっとしない。要素技術としては、探索だのニューラルネットだの確立されたものは実際に利用されているが、映画に出てくるような人工知能につながりそうなものは皆無である。そんないきづまり感を一般人は感じていないだろう。音声認識ができると、すぐにでもドラエモンができるかのように思っている人も多いかと思うが、言語理解という大問題が解決されていないことまで頭がまわっていないようである。

また最近の進歩と言えば、並列/分散計算の研究は盛んで、新聞・テレビでもクラスタやグリッドコンピュータの話題を目にすることがある。こちらは、それなりに進歩はあるようだし、実用化も実際に進んでいると言える。が、これで何でも高速に計算できるというのは無理な話である。世の中には、分割できる問題と分割できない問題があり、並列/分散計算では、問題が分割できることを前提としているという事実を知っている一般人も少ないと思われる。みそ汁を煮るのと米を炊くのを並行して作ることは可能であるが、みそ汁の具をきざむことと、それを煮こむことを並行してできないと同じである。ただ、分割できる問題は実際多く、こちらは実用化という点ではかなり成功していると思う。